すべての存在が際立つ世界
人はみな不完全だ、という言葉を聞いたことがありますか?
人はみなが完璧完全だ、という言葉は聞いたことがありますか?
これは視点の違いから発生した、どちらも真実の言葉です。
人はみな出来ること、出来ないことがあります。
でも、不完全な私たちはそれでいて完璧完全です。
不得意、苦手なことがあって完璧完全です。
完璧完全という言葉。
子供の頃は大人に比べればできないことが多く、たくさんのことを学びながら大きくなります。
この間に、大人になるということは何でもできるようになることだ、人に迷惑をかけてはいけない、という幻想が埋め込まれる場合がありますよね。
自分の欠点(と思い込んでるところ)や不得意をダメだと思いなんとかしようと頑張り続けたり、どうにかばれないように取り繕うことにエネルギーを注いだり。迷惑にならないように、一人で抱えてしまったり。
完璧完全という言葉や子供の頃に思い込んだ大人のイメージ、成長するということへの片寄った思いが、自分自身を責める要素として働きだします。
本来の自分からずれていき、自分というはっきりとした輪郭がぼやけていきます。
いいところも気に入らないところも全てそれでいいんだよ、と認めてくれる人がいたらどうですか?
それにはまず自分が認めてあげない限り、人には認めてもらえないかもしれません。
だって、あなたは自分の気に入らないところを隠したいですよね。触れられたくないですよね。迷惑かけたくないですよね。
同時に、あなたの思いが現実を作るのでそこにはオールオッケーの世界はまだ現れません。
もう、降参してください。
そうしたら、あなたのピースにぴったりはまる人達が見つかりますよ。
あなたが本来のかたち(姿)を現せば、迷子になっていたピースたち(人達)がちゃんと居場所を見つけておさまります。
もしくは、あなたはどこにもはまらなくて迷子になっていても、本来の自分のピース(姿)を認識することでぴったりはまれる場所が見つかります。
こんなふうにして、一人の輪郭がはっきりすることは周りにも影響を及ぼします。みんながより際立っていきます。
それぞれの存在が際立つ世界は自分を含むすべての不完全さを認める優しい世界で、その不完全さを認めない限り成り立たない世界。
不完全さが完全。
だから、いまもうすでに完璧で、すべての存在が際立っている世界なんだともいえるのです。
アロー!
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